ジェンダーレスの時代に「女時」はどうかとも思うが、言葉は文化であって、思想ではない。
男と女、陰と陽、太陽と月、凹と凸、プラスとマイナス。
いい悪いではなく、何事も複数の顔があるということだ。
で、何がキターなのかというと、女時だ。
悪い流れ。
まぁ要するに競馬がサッパリ当たらないということだ。
かすりもしなくなってきている。
重賞だ。
いや、重症だ。
狙ってもかすらないなら、振り回すまでだ。
ただし、明らかなボール球を振ってみすみす四球を逃してはならない。
振り回すにも限度があるということだ。
さて、女時というのは、ワタクシにとっては、世阿弥の言葉だ。
風姿花伝、別紙口伝にある。
「時の間にも、男時・女時とてあるべし」
能楽といえば、芸事と思われているが、かつてはパトロンを奪い合う勝負事だった。
本当に文字通り、優劣を決めるために演じる場があり、そこで勝ち抜くことがパトロンを得、生き抜くことにつながる。
なので、世阿弥の言葉は優雅なものではなく、勝ち抜くための指南書なのだ。
ほかにも参考になる教えが満載だ。(解釈は超意訳なので、あまり信用せぬよう)
「他の風体を嫌ふなり。これは、嫌ふにはあらず。ただ叶はぬ諍識なり」
自分とは違う、他のやり方を否定するものではない。どんなものでも面白いものはある。
「狂ふ所を花に当てて、心を入れて狂へ」
人心を得るには、本気でバカをやれ。
「ただ時に用ゆるをもて、花と知るべし」
何を求められているかを考え、それにこたえるべし。
「一期初心を忘れずして過ぐれば、上がる位を入り舞にして、つひに能下がらず」
初心を忘れなければ、何歳になっても向上し続けることができる。
「離見の見にて見る所は、すなはち見所同心の見なり」
独りよがりにならないよう、自分を客観的に見るべし。
「一切は、陰陽の和する所の境を成就とは知るべし」
すべては複数の要因が交じり合ってうまくいくものだ。
これは拡大解釈している。
例えば、冒頭にも書いたジェンダーレス。
レスではないと思う。やっぱり両方必要なのよ。ただ、そこに線を引くなということ。両方必要なんだから。「両方」に語弊があるなら、「みんな必要」ということ。
栄養もそう。
極端に炭水化物を抑制してはいけない。
これだけ人口が増えて、寿命が延びたのは、8割がた炭水化物のおかげなのだ。
それに、炭水化物は強烈な依存性があるので、あまり無理に我慢すると、イカれる。
だから適度に摂取したほうがいいし、時には欲望に任せて
ラーメンライス!餃子定食!お好み焼き定食!丼とうどんセット!ドリア!
などの炭水化物マツリも必要だ。
(ぜんぶいっぺんに食うという意味じゃないぞ。ラーメンライスみたいな炭水化物+炭水化物も時にはOKだということ)
ワタクシもマラソンの2日前は炭水化物マツリをやることに決めている。これもマラソンの楽しみ。
2日前の夜には普段ほとんど食べないポテトチップスでビールを飲むのだ。
(1日前は飲まないので)
だいぶ話が飛躍したが、やっぱり世阿弥は凄い。
若くして強力なパトロンを得たものの、次第に若い世代にとって代わられ、その苦悩の中から紡ぎ出した金言。
参考にしない手はない。